七海ちゃんと過ごしたあの時間
千葉大学小児外科 松永正訓
七海ちゃんと長い時間を共に過ごした「主治医」の立場から、心に残っていることをいくつか述べてみたい。七海ちゃんは私にとって、「特別な子ども」であると同時に「多くの子ども達のうちの一人」であった。
後者の意味はこういうことである。少し格好よく言えば、私はこれまでにすべての子ども達に対して等しく力を注いで治療に当たってきたつもりだ。数日で退院出来るお子さんから、1年を越える闘病を必要とするお子さんまで、みんなすべて同じである。そう言う意味で、七海ちゃんは他の子どもたちと比べ、なんら特別な子ではないし、特別扱いをしたことも無い。しかし、同時に、七海ちゃんとそのご両親からは本当にたくさんのことを勉強させて頂いた。それは神経芽腫と言う病気についてではなく、家族とは何かとか、その情愛とか、絆についてである。七海ちゃんは今でも私の心の深いところにいて、あの例の人懐っこい笑顔を今でも見せてくれる。何が「特別」だったのだろうか。少し、記憶をたどってみたい。
初めて七海ちゃんとご両親に会った外来の日のことを、私は鮮明に記憶している。病名を告げて、治療方針の概略を説明し、その治療成績を告げた、あの日である。ご両親は泣いておられた。ただ、その泣き方がちょっと言葉にできない泣き方だった。「悲痛」という言葉が一番近いかも知れない。心の底から本当に、痛いという涙だった。それは今から思うと、悪性腫瘍という病気に自分たちは気づいていながら、医師にそれを正しく診断されなかった悔しさも混じっていたのかもしれない。とにかく痛い涙だった。こういう場面になれているはずの私も不覚にも一緒に泣いた。外来のご両親との初対面の場で涙を流すなんて、最初にして唯一の経験である。こうして涙とともに治療は始まった。そしてその後も、ご両親と一緒に何度か涙を流すことになった。
一般の方々は、我々医師がどのような感覚で医療に当たっているとお考えだろうか。仕事、義務、理想、志・・・。いろいろなタイプの医者がいてそれぞれの考えで医療を行っているのだろうと思うが、私の場合は、がん治療の本質は「執念」にあると考えている。小児がんとは憎むべき敵であり、これに打ち克つためにはどんな苦労でも厭わない強い意志が必要である。敢えて言えば、自分自身の存在意義を賭けて闘うべき対象である。この病気を克服するためには、子どもが可愛いとか愛おしいとかの優しい気持ちだけでは足りない。病気を憎悪するくらいの激しい気持ちが必要であると私は思っている。こういう仕事をしていると、精神的に非常に切羽詰まった状態になり、家庭に戻っても本当の意味で心の底から寛ぐことができなくなる。家では病院の子ども達の話が必ず出るので、私の家内は、私が治療している子ども達の名前をほとんど憶えている。執念を持って私が目指すのは、日本で最も、いや、世界で最もレベルの高い小児がんの治療である。
治療の開始当初、七海ちゃんのご両親には迷いがあったと思う。それは、千葉大学病院で治療を受けることがベストの治療かどうかである。七海ちゃんのママは、全財産を使っても良いから、世界中のどの国に行ってでも、もっともレベルの高い治療を受けたいと言っていた。千葉大学では小児固形腫瘍を小児外科医が治療にあたる。これは世界でもきわめてまれなスタイルで、通常は小児科医が主治医となり、小児外科医は手術だけに関わる。世界で最もレベルの高い治療を行っていると自信を持って患者ご家族に言い切れるのかと問われれば、私の答えはイエスでありノーである。小児がん治療にあたって、主治医に求められる力量は調整能力である。今日の小児がん医療は、複数の科にわたる複雑な集学的治療になっているために、多くのエキスパートの結集が欠かせない。これをまとめあげて調整する医師が必要なのである。従って、私の考えでは、その立場に立つ人間は小児科医でも小児外科医でも構わない。しかし、そうは言っても、外科医の限界というものも同時に自覚している。この点が大事であると思う。つまり、私のやり方の特徴は、自分の知識と経験の限界を熟知し、この分野で最も叡智のある人間に施設の枠を越えてすぐに相談できるネットワークの力を発揮することにある。千葉大学の外科療法の実力はおそらく神経芽腫に関しては世界のトップにあるので、それ以外の分野、抗がん剤や放射線療法の最も新しい事柄、実験的な治療やまだ知られていない治療法まで、日本を代表する医師に電話一本で簡単に尋ねることが可能であり、実際にそうしている。また、欧米のグループスタディの中心メンバーの医師にE-メールを書いて最新の知見を教わることも可能だ。
だから、七海ちゃんの治療が始まってすぐに、ご両親からセカンドオピニオンを受けたいと言われた時、私は大歓迎だった。他の施設に意見を聞いてもらえれば、千葉大病院の治療がどれほどきちんとしているか、客観的に評価してもらえる。「世界で最もレベルの高い医療」なんだと納得してもらえる。実際、セカンドオピニオンによって私たちとご両親の信頼関係は非常に強くなったように感じる。もっとも、七海ちゃんのパパに言わせれば、私がセカンドオピニオンを承諾した時点で、もう、セカンドオピニオンの目的は達したらしい。つまり、私がオープンな医療をすると分かった時点で信頼できたらしいのだ。七海ちゃんの治療は順調に進んで行った。
進行神経芽腫の治療は、生検、術前化学療法、根治術、術後化学療法、造血幹細胞移植と進んで行く。七海ちゃんはそのすべてにとてもよく耐えたと思う。今だから言えるが、これらの治療の中で私が一番心配したのは、実は入院直後の開胸生検であった。この時の七海ちゃんは、がん性胸膜炎になっており、肺自体も腫瘍で圧迫され、つぶれていた。もし、胸を開いて外科操作をすればその影響で呼吸が極めて悪い状態に落ち込むことを危惧したのだ。もし、安易な選択をするのなら、生検なしで化学療法を開始すれば良い。しかし、それは世界標準の治療からすれば後退した医療であり、自信の無い医者の選択だ。今の医療は情報公開の時代で、あらゆるリスクを患者ご家族に説明し、場合によっては選択肢から医療手段を選択してもらったりする。もちろん、これが現在、正しいとされている医療のあり方だが、私には異論もある。判断を患者家族に委ねるといった方法は医者のイクスキューズに思えてしまう。この時もご家族には、リスクは説明したものの、手術の成功と安全を強く請け合った記憶がある。そして実際、心配することは何も起こらなかった。
化学療法の副作用を一般の方はどう受け止めているのだろうか。我々にとっては日常的な風景でも、髪の毛が抜ける、熱が出る、連日のように輸血をするというのは、かなりの衝撃ではないかと想像する。しかし、七海ちゃんのご両親はかなり冷静に副作用を受け止めていた印象がある。うろたえたり、取り乱したりする場面は一度も見ていない。これは私の想像だが、見た目の副作用よりも目に見えない骨髄抑制、特に血小板低下にご両親は神経質になっていたのではないだろうか。抗がん剤投与に関する私たちの医療に、注文をつけることは一切無く、ご両親は基本的に全部を私たちに任せ、信頼してくれた。七海ちゃんも健気に副作用によく耐えていた。私からすれば非常に治療しやすいご家族だった。ただ、治療を受ける病棟の劣悪な環境にはいくつかクレームを頂いた。その指摘は一つ一つがもっともなものばかりだった。現在では多くの点が改善されていると思っているが、七海ちゃんはその恩恵をあまり受けられなかったかも知れない。でも、今、病棟にいる子ども達が良い思いをしてくれているのなら、七海ちゃんのパパ、ママは、きっと喜んでくれるだろうと思っている。
術前化学療法で遠隔転移巣が消失し、原発巣も縮小した。2度目の開胸手術で原発巣摘出術を行なった。手術は教授と私で執刀した。胸を開いて腫瘍を取り出すなどということは、患者ご家族にとっては大変な事件と感じられるだろうが、実は我々にとってはそうではない。入院時と異なって七海ちゃんはがん性胸膜炎ではないし、肺も膨らんでいる。手術はうまくいって当たり前だし、我々も絶対の自信を持って手術にあたった。この手術によって七海ちゃんは大きなハードルを一つ越えた訳だが、実際のところ、私はこの時の手術の情景をほとんど記憶していない。外科医はうまく行った手術ほど、記憶に残らないものである。七海ちゃんの手術も日常的に行なわれていた数ある手術のうちの一つであったのだろう。
ある時、七海ちゃんのママからこんなことを聞かれた。「七海の17q gainはどうなっていますか?」この問いの意味を理解できる医学生は千葉大にもほとんどいないだろう。これは腫瘍細胞の17番染色体の長腕のコピー数が増加しているかとの質問だ。この当時の神経芽腫の研究における最先端の成果に基づいた予後予測因子である。七海ちゃんのご両親は勉強熱心で、インターネットを含め様々な手段で我が子の病気について勉強していた。インターネットが身近な道具になり、最近では病気の勉強をしてくるご家族が増えて来たが、今の風潮はちょっと安易に流れてはないかと気にかかる。インターネットは玉石混淆の情報の山なので取捨選択する目を持たないと、たちまち情報の洪水の中で溺れてしまう。闘病する家族は色々な意味で、病気について学ぶことが必要だが、枝葉末節にとらわれないで、ぜひ、治療の流れの本流をしっかりと読み取ってほしい。七海ちゃんのご両親とは1回の化学療法が終了するたびに1時間近く面談を繰り返したが、はっきり言ってその内容は、医者として説明のしがいのある内容ばかりだった。患者ご家族には、ぜひ、医者を上手に使ってもらいたいと思う。医者との面談に際しては、どうか遠慮することなく30分でも1時間でも話をしてほしい。ただし、その内容が、お子さんの治療の質を高めるような内容であることを希望したい。
造血幹細胞移植の時にはちょっとしたトラブルがあった。移植のまさにその日、液体窒素の中から幹細胞を取り出してみると、保存バッグに亀裂が入っていたのだ。これを解凍すれば中身がすべて流出してしまう。破棄すれば、残された幹細胞はバックアップの分のみになってしまう。私はとっさの判断で凍った幹細胞を滅菌されたプラスチックバッグに移し、無菌的にシールした。そして、これを解凍し、七海ちゃんに移植したのだ。ところがこの行為が問題になった。七海ちゃんのバッグが保存されていた液体窒素のタンクの中にはB型肝炎ウイルス陽性のバッグも保存されており、そのバッグにも亀裂が入っていたのだ。つまり、七海ちゃんのバッグは破棄するのが正解だったのである。私は、事情をご両親にお話し、七海ちゃんにB型肝炎ウイルス抗体を注射した。事故に関する報告書などの事務処理に追われた。その時に七海ちゃんのパパに言われたことが忘れられない。「先生は七海のために良いことをしてくれた。なのに、なぜ、そんな事務処理に追われるのですか?そんなことはする必要ありませんから、七海の治療に集中して下さい。」これは今の医療の最も馬鹿げた一面を鋭く突いた言葉だ。今の医療は良い医療を行なうために医療事故を減らそうと努力しているのか、医療事故を減らすために医療を行なっているのか、ともすれば分からなくっている状況がある。医者はしょっちゅう、会議を開いて事故防止の策を練り、二重三重の安全対策をとり、そのために仕事の量が本来の医療から離れた部分で二倍三倍と増えている。医療従事者はますます医療に集中できなくなっている。我々は、七海ちゃんパパの言うようにもっと患者の医療に集中すべきである。あの言葉を聞いた時、このご家族は本当の意味で医者とは何かを理解し、医者としての力を引き出す患者家族なのだなと心底から思った。幸い、その後、肝炎ウイルスに感染することも無く、移植は順調に経過した。
全治療は、入院当初に思い描いたデザイン通りにうまくいき、七海ちゃんは完全寛解で退院して行った。千葉大学のこれまでのデータでは、進行神経芽腫の約60%のお子さんが完全寛解で退院していくが、そのうちの約半数のお子さんが再発する。再発する、しないを規定する因子は現在、まったく分かっていない。そして再発後の予後は極めて厳しい。七海ちゃんに関しては、なんとなくこのままうまく行くのではないかという予感めいたものがあったので、再発が分かった時は正直ショックだった。再発後、ご両親は一つ一つ難しい選択を迫られていったと思うが、私自身も迷いの連続だった。再発後にいかなる治療を行なうかは、何をゴールにするかによって全く変わってくる。誰でもが、我が子がもう一度、完全寛解に入りそのまま長期に再発しないことを望む。しかし、その際、もうすでにあらゆる抗がん剤をすべて使い果たした上での再発であることに改めて気づく。そして、主治医の言葉は冷酷である。
七海ちゃんは、重粒子線治療、MIBG治療といった世界でも最も新しい治療を受けた。特に重粒子線治療は、放射線医学総合研究所に私も何度か足を運び、無理をお願いして実現したものだ。七海ちゃんは重粒子線治療を受けた世界で最年少の子どもだ。照射開始に至るまでの準備、セットアップ、シミュレーションを本当によくがんばったと思う。大人でもうんざりするような長時間の体位固定などによく耐えた。あのがんばりと、放射線医学総合研究所の医師達の理解があってあれだけ質の高い治療ができたのだと考えている。だからこそ、重粒子線治療が終了した時、私は、駄目押しの抗がん剤治療を行なうことで2度目の寛解導入を計ろうとした。このあたりの治療の選択にあたって、ご両親は深く悩んだ様子だった。抗がん剤を使って生活の質を落として、そのあげくが寛解に至らないのであれば、最悪の経過である。マイルドな治療で病状を抑え、残り時間を精一杯燃焼することの方がどれだけ価値があるか。この段階になると、ご両親は1枚のプラスのカードを引くと、必ずその裏にはマイナスの文字が書かれている状況になる。何かを得れば、必ず何かを失わなければならない。がんの子ども達の最終ステージは、どの家庭でも必ずこうである。プラスのみが書かれたカードを提示することは最早、我々にはできなくなるのだ。この頃の私は、奇跡にすがろうとしていた。通常であれば、患者ご家族が奇跡を希求し、私がそれを諦めさせる役回りになるのだが、逆であった。七海ちゃんのご両親はとても理知的だった。冷静では決してなかったと思うが、知的な判断をしておられた。きっと信念のような強い意志の力が考え方の根底にあったのだろう。高野家の最後の選択は、七海ちゃんの最期を自宅で看取ることであった。
我が子との最後の別れを自宅でと考えるご家族は多い。しかし、実際にそれを実行に移すケースは殆どない。自宅で子どもの最期を迎えるには多大な労苦を強いられ、不安にさいなまれるからだ。だが、七海ちゃんのパパ、ママならそういう選択をするのではないかという予測はあった。何よりも二人は精神的に自立しており、最後の段階では医者の助けは必要としていなかった。そして何と言っても七海ちゃんに対する情愛の深さである。このまま七海ちゃんを失えば、息もできぬほど、心臓の鼓動も止まるほどにショックを受けるであろう。この辛さを乗り切るには、高野家の持つ最も強いもので七海ちゃんの死に向き合うしかない。それは何か。それは家族である。家族の絆で七海ちゃんの最期に向き合うことでしか、七海ちゃんの死は受け入れられないのではないか。私はそんなふうに解釈した。最後の段階で、私に手伝えることは何も残っていなかった。後は、家族がすべてやってくれる。パパとママと二人のお兄ちゃんがいるから、七海ちゃん、大丈夫だね。そういう思いだった。
医療とは、結局は「祈り」だと思う。全身全霊を込めて治療に当たり、最後に医者にできることは祈ることだけである。私の祈りが七海ちゃんやパパやママに通じたのかどうか、それは分からない。七海ちゃんと共に過ごした時間が長かったのか短かったのか、そして時間の長さにどんな意味があるのか、それらを決めるのはすべて七海ちゃんの家族である。七海ちゃんの最期をみんなで看取ったことで、七海ちゃんの家族は5人一緒になったのだと思う。そして、これからもずっとずっと5人で生きて行くのだと思う。5人がずっと幸せでいられるように、それが私の最後の祈りだ。